2022.2.10「並び立つフィクションと観客」

雪だ!!!!!!!!!!!!!!!

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雪なのでテンションが上がってまた用もなく歩道橋に来た。雪と夜と高いところが好きなので、雪が降ってている夜に歩道橋に来ている。こういう人間が災害の時に一番最初に死ぬ。

これを聴いているとかなりそのままの空気感になって良かった。

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犬の足跡だ............

 

このCDを聴いたのですが、めちゃくちゃ良かったです。
一曲目はしっかりサックス系の生楽器が入っていて良い。二曲目はボサノバ調というか、これアイドルマスターであんまりなかった方向性じゃないですか? ボサノバ調って言ったらBlessingとかだろうか。アイドルマスターで新しい方向性の曲が来ると嬉しい。
カフェパレってミュージカル調の曲が多くて、それぞれセリフっぽい歌詞は多いんだけど、これの2曲目のようなしっかりメロディアスな歌をそれぞれがソロで歌うことってあまりなかった気がする。それを聴きたかったのでとても嬉しい。

それにしてもアイドルマスターのCDのドラマパートを聴いている時ってなぜこんなに混乱しているのか。何?何?何?何?何?と言っていたら終わる。
やっぱり途中でプロデューサーが出てきた瞬間、誰?!?!!!!!!!!になる。いやプロデューサーなんだけど、プロデューサーって誰?に未だになっている。ずっとなるんだろうなこれは。
シャニマスのドラマパートとかあまりちゃんと聞けてないけどどうなってしまうのか。プロデューサーって出てくるんだろうか。

この前のシャニマスのイベントストーリーがものすごくて,結構尾を引いている。
複雑すぎて全然上手く説明できないが、社会問題をしっかり描いた上で、やっぱりインターネットの嫌な部分の描き方が異常に上手い。
アイドルがエシカルファッションのブランドとコラボした生配信をしている時に、ポジティブなコメントの中にとつぜん「エシカルは欺瞞」というコメントが流れてくる。しかも2回。
このコメントが強烈すぎて、内容がどうこうよりもその嫌さが残ってしまって、最近ずっとSNSYoutubeのコメント欄に「エシカルは欺瞞」という言葉が流れてくるのではないかという恐怖の中にいた。そっちが勝ったらだめなんだけど、フィクションで描く「インターネットの悪意」の一線を超えたものを感じる。
2回書いているというのが、一度書いてポジティブなコメントに押し流されたように見えて、ダメ押しでもう一度書いたんじゃないかと思うと本当に嫌だ。
その上、その瞬間アイドル自身がそのコメントに気づいているのかは描写されず、後になって実は見ていたことを打ち明ける。この感じが生々しすぎて、ちょっとトラウマになった。

アイドルマスターに染まれば染まるほど、シャニマスのシナリオへの戸惑いが大きくなっていく気がする。アイドルマスターという文脈の中で見るとシャニマスのやっていることはものすごく異端に感じられるので、でも今の時代を一番見据えているシリーズであることは確か.....。

私はエンターテイメントにどうしても虚構性を求めてしまうところがあって、現実の問題を取り扱った作品もそれはそれで素晴らしいけれど、自分が楽しみたいものとはまた別枠で捉えてしまうところがある。
いつかこれを同軸にしなければいけないんだろうなと思っているが、いや別に同軸にはしなくてもいいのかな。というか同軸にしてしまうから、現実的でないフィクションに対する的外れな批判が起きてしまうのかもしれない。
どちらも並び立って存在してほしい。あとは受け手がそれぞれの作品に対応した観客になれるかどうかでしかない。

(まとまらなかった話↓
エシカルは欺瞞」のようなフィクションは、「これはフィクションよりも現実に近くて、あなたたちは観客ではいられない」という姿勢なんだと思う。作品側が観客を観客席から切り離すタイプの作品はたくさんあるが、そうなった時に観客が「観客席から切り離された観客」の姿勢を取れるかどうかという話になるので、結局我々は観客でしかないのかもしれない。
そういうタイプの演劇はたくさんあるし、そういう作品は多分「観客が怒