2023.6.4「金槐和歌集を買うまでの日」

池袋に来る用事があったのでジュンク堂池袋本店に来た。

まず一番上に上がって演劇の棚を見た。90年代の小劇場について書いた本がないか探したが、第三舞台劇団☆新感線夢の遊眠社あたりに触れている本はあっても、東京サンシャインボーイズや劇団ショーマあたりの劇団にまで触れている本は見当たらない。90年代の演劇ぶっくを読みまくっているせいで、そのあたりの時代の小劇場に異常に詳しくなっている。

 

そこから降りてフランス語のコーナーや図書館関連の本などを見た。あるな〜と思うだけで買わないのもどうかと思いつつ、決め手になる本がなく結局通り過ぎた。

 

3階の人文のコーナーにジェンダー論に紐づけてBL文化あたりについて書かれた本がかなり気になったが、苦しい内容も多く読み切れる気がしない。90年代のコミケの深淵から現代までの文化について書いてある本はないかと探したが、深淵だからなかった。でも深淵扱いし続けてるせいで生まれている文化的な歪みに誰も言及しないのって、どうなんですか? この話はもう...諦めていますが...

 

その流れで壁面の古典文学の棚を眺めた。

 

コレクション日本歌人選 源実朝 https://amzn.asia/d/d7KpD8U

 

あっ

 

気がついた瞬間に「手に取るな!!!」と泣き叫びながらと手に取っていた。嘘ですが。でも心では泣き叫んでいるので般若のような顔になっている。

ちょっと読んでみるだけでかなりギャーーーーーーーという状態になったが両手で抱えているためもう買う気満々になっている。

 

でも落ち着いて考えてほしい。私は金槐和歌集を読もうとしていたのでは?

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 金槐和歌集 https://amzn.asia/d/2vgR744

 

これに全和歌が入っている。一度図書館で予約したが借りる勇気がなさすぎて流してしまった。すみません。

本来こちらを買うべきでは? 手に取った選集は安いし薄いし読みやすいが解説が多い。私はこの人に対して他人が何か書いている文章が全部読めないんだから買っても何も読めないのでは?

それはそうなので、両手で抱えていたが棚に戻した。金槐和歌集の在庫をhontoで調べると東京の丸善本店が一番近かったので、池袋から東京に向かった。

 

 

↑大丈夫?

 

本屋に来て突然「買うべき本」への衝動が高まり別の本屋に電車で向かうことがあるんだ。しかもこの本読もうと思ってから8ヶ月くらい経ってるし。怖い、本当に。

いや通販で買ってもいいはずなんだけど、一回試しに読んだ方が良いし、じゃあ図書館で借りればいいんだけど、多分読まないから。もう無理やり「対面」して泣きながら両手に抱えて会計をするまでいかないと、駄目なんですよね。

 

いま丸の内線の中でこれを書いているが本当に読むんだろうか。だってこれを書いたのって「源実朝さん」じゃないし。全然関係ない歴史上の人物の書いた和歌を突然読んで意味あるのか? 

でももうこの感情ぶつけられる場所ってこれしかない。hontoのページを開いたら鎌倉殿きっかけで和歌集を読んだ人のレビューが出てきて爆速で閉じた。何も読みたくない。誰も私に話しかけないでください。握手したい気持ちと本当に許せない気持ちが完全に同時に存在する。

読みたくないよーーーーーーーーーッッッ

歴史上の印象的な人物に色々な人間が属性を与えて消費している構図がかなり苦手になってきた。だから本来大河も許せてない。

でも私は三谷幸喜のファンだから、このとんでもない有言実行歴史オタクが自分の思想を作品にぶつけまくっているのを見たくて生きている。だから三谷幸喜のことだけ許していて、それに準じて消費を行なっている我々のことは許していないです。

 

東京に着いちゃった。

 

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あー。買いました。

しっかりとした全集の一つなので、淡々と全ての和歌に対して意味や本家取りの元の歌を書いている。一番良い。ただこの人の書いた美しい和歌を穏やかな気持ちで読むことができる。これを買って良かった。

 

やっぱり歴史上の人物や作家や作曲家のことを書く時に起きる「わかりやすさ」「消費しやすさ」「キャッチーな人間性の喧伝」が本当に苦手。それをせずにただ淡々と学問的な視点から書かれているものを見ると瞑想に入ったように穏やかな心になれる。

ラヴェルとか宮澤賢治とかもう全員に起きていることだが、本来プライバシーに関わるような私的な問題に対し「実はこうだったのでは?」という推測を行うという流れ、本当に嫌だ!!!!!!!!! 

もちろん今までになかった視点でその人の人生や作品を眺めることは学問に有用という発想なのかもしれないが、でも私的な手紙とか、日記とか、本人が誰にも見せないつもりで書いてるわけじゃないですか。死んだ人間なら勝手に全部開示して良いなんてことがあるか? 私は本当にこれがずっと許せていない。伝記映画も基本的に苦手。

でも同時に「そういう私的な側面」を伝記や作品から垣間見ることでその人のことがより好きになっているという、自分の浅はかな感情の動きも昔からあるわけで。だって自分がラヴェルのこと好きなのって中学生の頃からずっとそういうことでしょ。愚かだね〜〜〜〜〜〜〜私は本当に苦しいです。

 

三谷幸喜の歴史ものは基本的に「この人にはあるイメージが定着してしまっているが、こういう側面もあっただろう」という新たなイメージの構築や、「悪役」の印象を払拭させる目的で行われることが多いので、その点に関しては私は信頼している。それは一つの戦いだから。

戦った先にまた新たなイメージが生まれてしまうという問題はあるんだけど、それはもう、私が現実の戦いから逃げているだけだから、戦っているだけ全員私より尊いです。

 

源実朝さんはこういうことを「全部」考えさせられる契機になっている。なんでこんなことしたんだ。三谷幸喜に「忘れるな」と言われている? それはそうかもしれない。ヴァンプショウにニコニコしていたら突然真正面から刺された。すみませんでした。

 

金槐和歌集、もっと早くに読んでおけば良かったな。読んでいるだけで穏やかになるし、源実朝さんのことを考え続けてしまうこの情動の行き先として一番良かった。

自分は本名の由来に和歌があり、その和歌を源実朝が本家取りしていたりして、そういう事象が複数重なり、より感情が生まれてしまっている。こんなことになるとはね。祈りってどんどんこうやって強いものになってしまうので怖い。

忘れようとして数ヶ月考えないように努めていたが、そうすればするほど感情が大きくなってしまった。難しい。クソデカ感情とか本当簡単に言わないでくださいね、この世の全ての皆さん。そんな一言で済むならそれはクソデカ感情とは言えないだろうが、と言いたい。言葉として矛盾が生じているから多用されてほしくない言葉だと思った。

 

借りるのではなく買って良かった。でも源実朝さんのことを考えていると基本的に落ち込んでくるので、しばらく祈りのための宝物(ほうもつ)として家で守っておこうと思う。