2023.4.29「愛でしか学べない」

キルメン・ウリベの『ニューヨーク-ビルバオ-ニューヨーク』を読んだ。バスク語で書かれた本で、『「その他外国文学」の翻訳者』でインタビューを受けているバスク語の翻訳者の方が訳した本だった。もともと買って積んでいた本だったので、この機会に読み切った。

断片的なエピソードが連なっている構成で、読んでいるとだんだん世界が見えてくるような印象を受ける。後から読み返して味わいが深くなる本だと思うので楽しみ。

「マイテ・マイテ」という身振りが登場する。手の甲に手のひらを重ねて撫でる動きで、「愛している」という意味を持つ。バスク語を話す人々の中ではこのようなジェスチャーが多く用いられている。

ラヴェルが弟との挨拶をするとき、互いの前髪を引っ張り合うという不思議な動きをしていたという話を思い出した。その動きがバスク由来のものなのかはわからないが、親密な人とだけ通じ合うための身振りなのだろう。

 

そもそもバスク語に興味があるのはモーリス・ラヴェルの母親がバスク出身で、彼自身バスクへの親しみがあったというのが根本にある。晩年にはバスクに訪れ、歓迎を受けていたはず。はずというのは、私はラヴェルのあらゆる伝記を読みまくった時期があるため、ほぼ全てのエピソードを覚えているので、今何も見ずにこれを書いている。ラヴェルの良いエピソードなら無限に出て来るのでよろしくお願いします。

ラヴェルは生粋のパリジャンのような雰囲気を持ちながらも、自分にはバスクの血が流れているという意識が強かったように思う。それは彼の中で母親の存在が大きかったというのもあるし、やはりバスク語を話す人々にとってそのアイデンティティは特別なものなのだろうと思う。彼が子供の頃に母親はバスク語で子守歌を歌っていたし、彼女はモーリスの音楽院の友人であったリカルド・ビニェスの母親とバスク語で会話していたという。

 

ラヴェルの母親とリカルド・ビニェスの母親がバスク語でおしゃべりしていたというエピソードを今も普通に覚えているの、怖すぎ…………………………………………

 

毎日フランス語の勉強が継続できている。NHKラジオ講座と、一冊買ったテキストが続いている。私は外国語のリスニングが本当に苦手なので、自分で聴いた言葉をそのまま言語として変換する聴き方を定着させるための脳の動きに悩んでいる。音として聞いてしまうので、言語を聴いているという意識がすぐに消えて集中力が切れてしまうんですね。この集中力を持続させる癖をつける必要がある気がする。

 

たぶん本当に実用的なことをするなら英語をした方がいいのだが、ぜったい続かない。人生において別の言語を習得するという経験をやってみたいという気持ちはあるが、たぶんフランス語でないと続かない。なぜフランス語ならかろうじて希望があるかというと、モーリス・ラヴェルの話した言葉だからです。私には愛しかないので、こういう動機がないと無理だ。

 

フランスに行ったときに古本屋で買った、邦訳されていないであろうラヴェルの本を冒頭だけ訳してみた。かなり文法を忘れているから思い出さないといけない。

 

本は積読していたアントニオ・タブッキの「逆さまゲーム」を読み始めた。タブッキは良い。ちょうどウリベの作品で描かれていた時代と同時期の話が出てきた。

ラヴェルは1936年に亡くなっている。12月28日に脳の手術がうまくいかずに亡くなった。まだ61歳だった。でもナチスに占領されたパリやフランコに支配されたバスクを彼が見ずにすんで良かったと、思うことがある。