2022.3.13「走り出した愛の俯瞰」

https://twitter.com/SideM_GS/status/1502970728752324608?s=20&t=ItJWWdJpa0qcSyRp0Kal0w

 

生きててよかった〜〜〜〜〜〜

 

 

この曲を聴くとちゃんと「2021年12月の感覚」になる。人生の時間が2019年で止まっていると知り合いが言っていたが本当にそうで、アイドルマスターの時間だけはきっちり2022年まで進んでいる。どうすればいいんだ。もうこのズレを今更どうやっても修正できそうにない。

 

一年前にプロデューサーミーティングに行った時は俯瞰で見ていたものが、今では完全に「内部」にいるという感覚になっている。

作品世界(特にサーガと呼ばれる仕組みを感じさせる作品)に入るというのは海に潜るようなもので、いやむしろ現実が海でその息継ぎに作品世界にあるのかもしれないけど、潜っている間は別の仕方で呼吸をしているので、深く潜水しすぎると慌てて地上に出なければいけないと思うことがある。

これはさまざまなものを通ってきた上での「感情がこれ以上増えすぎると危ない」という危機管理能力の発達だと思う。危ないというのは「健康的な愛し方が難しくなる」というラインで、これは別にマイナスの感情が出てきたという意味ではない。

愛が大きくなりすぎると突然何かに対して反動が起きる可能性があるというのを知っているためだ。こう思ったからといって走り出した愛を止められるわけではないが、なんどか息継ぎのように俯瞰視する自分(いまこのへんまできたな、と自分の走ってきた道・走ろうとしている道を眺める行為)を作っておきたくなる。

 

まあそんなことを言っても今ずっとアイドルマスターSideMの曲を聴いているんですけど...。離れるっていうのは作品世界では無くて「作品世界のコミュニティ」ってだけでかもしれない。それはなんでもそうだが.....。

 

一人でその作品をただ愛する行為という写経のような時間が必要で、おそらく多くの人にとってそれは二次創作なんだろうな。この日記もそれに近い。