2021.12.2「本当の古参になるな」

 

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さようなら。

 

アイドルマスターのことばかり書いているからかnoteのおすすめにアイドルマスター関連のアイドルの文章が出てくるようになり、とても怖いので本当にやめてくれという状態になってきた。逃げさせてくれ。

アイドルマスターには無限に世界線が存在する(と言われているが私自身はあんまりそう捉えていないかもしれない)。
それぞれの媒体によって、アイドルの置かれている環境は少しずつ異なっている。
例えばサイスタでは315プロダクションは出来たばかりの弱小事務所という設定のため、アイドルたちの知名度もまだそれほど高くない。一方モバゲー版アイドルマスターSideMは7年も続いており、アイドルたちは常に新しい仕事をこなしているため、自然と積み重ねたキャリアも多くなっている(歳は取らないが)。
各媒体によって制作者はある程度異なるはずなので、当然アイドルの描写にも違いが生じる。

この点について、自分は「媒体によって自分の好きなアイドルに解釈違いが生じる」状態になりたくないな〜と思っている。つまり「アニメの〇〇は自分のの好きな〇〇じゃない」という状態になるということ。
これって数年間同じキャラクターを好きであれば当然起き得ることなのかもしれない。ある程度キャラクターに関する物語を読めば、自分の中のキャラクター像は固定化されていく。
当然台詞を書いた人間は複数人数いるはずなので、その像と作者の書いた像が完全に一致するとは限らない。

でも私は、「作品内において描かれたものは、全て等しくひとりのキャラクターである」と認識しているところがある。どれだけ作者がめちゃくちゃをやっても、いや作者が死んで別の作者が適当に書き始めたとしても、その作品の中でそのキャラクターとされる存在が発した言葉は、全てそのキャラクターの像であると捉えている。
ひとりの人間に色々な面があるように、それぞれのアイドルにも色々な部分があり、私たちが見ているのはその一部でしかないので、例え彼らが自分の中の像とは違った行動をしたとしても、それはひとりの他者の行為として受け入れなければならない。彼らのことを勝手に解釈して理想像を作り上げているのは自分たちなのだから、それを押し付けるのはエゴだろう。

↑という気持ちでアイドルマスターのアイドルに触れているのですが、もしかして大多数の人はアイドルマスターのアイドルのことを他者とは思っていない可能性がある。そうなのかも.........

キャラクターコンテンツを継続的に見たことがないから、多くの人がどのように楽しんでいるのかわかっていない節もある。人間しか見てこなかったから.....。

いやでも作者が死んだ後に別人にめちゃくちゃされたらさすがに見ないか。
私が思っているのはただ「与えられたコンテンツを100%楽しめる状態に自分を保っていたい」ということだけかもしれない。みんなが楽しそうにしているのに一人だけ苦しむの、もう嫌なんで.....。
深入りしそうになったら離れて、全体を見て、「楽し〜」と思うことにしている。人間って成長できるんですね。
人生の目標「本当の古参になるな」にしようかな。せめてない古参にしておこう。