2020.12.7「生活再建シュトーレン」

シュトーレンってお菓子としては重いし、食事としては甘くないですか? どのタイミングで食べればいいのかわからず、去年は結局年末までかけて食べた。今年は買わないでいいかと思っていたのに、売っているのを見たら買ってしまった。
シュトーレンが家にあると、「シュトーレンのある生活」をしなければならなくなる。シュトーレンを薄く切って皿にのせ、シュトーレンに合った飲み物を入れるという時間を発生させるためには、ある程度の生活水準を保つ必要が出てくる。シュトーレンによって生活を再建してやろうという目論見である。
まあ今シュトーレンの包みは冷蔵庫の上に放置されてるんですけど。ガハハ

 

あれもこれも見たいしあれもこれもやりたい、という感情と、いや別に全部どうでもいいな…という気持ちが5分置きに来るような日々を繰り返している。本当は全部どうでもいい。基本的にどうでもいいことをやりたいことのようなふりをして生きている。
今年は帰省できそうにないし、年末年始で50000本映画を見て50000冊本を読もうかな。嘘です。別に読みたい本も見たい映画もないけど、興味のあるふりをして生きている。
いや、ふりというよりも、心と体が一つのレールに上手く乗っかれば、全てに意欲的になれる。でもそのレールは幻覚で、向かう先にあるのも幻でしかないという感覚を、2020年の私たちは既に知ってしまっている。
須賀敦子の本を読んでいると1950年代に生きた若者の感傷がにじみ出る瞬間がある。学生運動の時代をヨーロッパで過ごした彼女は、自分はヨーロッパ世界の理性に惹かれていたと話す。
それが幻だと分かっていても、一つのレールを「信じたふりをする」ことでしか、何かに向かって生きることはできないような気がする。

 

2020、うるう年であったという幸福以外一生許さん(短歌)