2020.4.9「時間の滞留」

朝早く起きてストレッチをするとかなり良いということがわかった。あと7時間以上寝るとかなり良いということもわかった。

自分よりも不安指数低めの人と話すことで気持ちが楽になることがわかった。この考えだと誰と会話するかの取捨選択が生じる。罪悪感はあるが、この際そうもいっていられない。逃げるべき場所に逃げるべきだ。

職場にいると時間が止まっているような感覚になる。
実際時間が止まっているような空間がたくさんあって、この世にこの空間と自分しか存在しないような感覚になることが多々ある。このまま現在から逃れられたらいいのに。

耳コピしたコトリンゴの楽譜を引っ張り出して弾いた。楽しい。ありがとう、6年前の自分。完璧な採譜技術です。
実家から週一くらいで仕送りが来るようになった。大体自分が読んでいた本やDVDを送ってもらっている(仕送りというのか?)。
実家においたままの楽譜を送ってもらうことにした。ドビュッシーの「子供の領分」だけで3種類くらい楽譜があって、「春秋社のと音楽之友社のと全音のとどれがいい?」みたいな会話が生じる。ごく普通に会話が成立しているけど、よく考えたらものすごい環境だな。
やっぱり聴いているだけでは物足りず、演奏したいという欲求は定期的に生じる。今の部屋は激狭(げっきょう)なのでキーボードをテトリスのように設置しているが、せめてアップライトピアノが弾きたくなってきた。早く弾きに行ける世界になってほしい。

リラックスプレイリストを作り始めた。クラシック、それも近代フランスばかりになっている。
ここ数年の自分は、今まで自分が触れたことのない音楽や作品に触れていく姿勢で生きていたように思う。それで新しく好きなものが見つかったり、自分が何を好きなのかがはっきりしたことも沢山あった。
でも今は無理にそうする必要もないのかなと思う。自分が昔から好きなものを愛でることは、ひたすら心地よい。それを「消極的」として切り捨てることもないだろう。
今「水の戯れ」を聴いている。この世で一番好きなピアノ曲。やっぱり一番美しいよ。この世にラヴェルがいてくれて良かった。
「水の戯れ」を弾いた高校三年生のことを思い出す。あの瞬間には感じていなかった感傷が生まれている。
どこにも行けなかったからこそ存在した、音楽や文学と向き合っていた時間。ぬるい人肌の温度をもって思い出される時間。こうして過去は思い出となっていくのだな。