2021.8.14「美との距離感」

頭痛て〜。

低気圧でも頭が痛くなるし、直射日光でも頭が痛くなるし、寝不足でも頭が痛くなるし、ストレスでも頭が痛くなるし、副反応の熱でも頭が痛くなる。終わりです。

今日一日「蒼い鳥を歌いたい」しか考えていなかった。蒼い鳥を歌いたいが、私が歌いたいのは蒼い鳥のアニメVerの伴奏で、それはカラオケに入っていなくて、そもそもカラオケは空いていなくて、一人で部屋で歌うしかない。

ずっと「浮遊感UFO」を聴いている。歌詞だけでここまで大槻ケンヂを感じられるのがすごい。
大槻ケンヂの歌を聴いていると、どんどん精神がそちら側に引っ張られて怖くなる時がある。これは大槻ケンヂ大森靖子アーバンギャルドなどを聴くと起こる現象で、もしかしたら「大槻ケンヂ大森靖子アーバンギャルドが好きだった友人」たちの記憶に引っ張られている可能性もある。
こういう世界観のものに触れると、すぐに「引っ張られるとやばい!」と思って逃げ出しそうになる。音楽を聴いているだけで精神が「そっち側」に倒れ込みそうになって、慌てて向日性の高い歌を求めてしまう。
でもそもそも惹きつけられていなければ「逃げ」の姿勢になることもないわけで、結局好きなのかもしれない。絶望先生のOPも好きだし。
他者との不健康な依存関係の記憶が呼び起こされて逃げ出したくなるだけかもしれない。他者との不健康な依存関係からは逃げ出したほうがいいので、それは正しいのですが......。

他者との不健康な人間関係の記憶なんて雨の夜に思い出すものではないので、これ以上はやめます。
そういう記憶から一番遠ざかれる作品が、三谷幸喜の作品なんですよね。三谷幸喜は強い愛情や友情といったものも描くが、それらは全て真っ直ぐで、見ていて眩しいほどに輝いている。
もちろん依存関係に近いものも描かれるが、それらの結末ってだいたい「善」に引っ張られる形での破局な気がするので....。三谷幸喜はずっと正しい。正しいのに美しい。それってすごいですね.......。

また「善」と「美」の話をしてしまったな。いや、久しぶりにしたな。
現実の人間は健康に生きた方がいいので、どう考えても「善」の方向に進んだ方がいい。
私は「美」に引っ張られるのが好きなので、どうしてもそれに執着してしまうが、自分自身「美」に引っ張られるのを切ったことが何度もあるので、それを他人に求めるべきではないとも思う。私は石を投げる立場にいない。

本当に何の話? もう「美」には疲れた、「善」だけでいいや......という精神状態になっているという話か。
SHERLOCKのライヘンバッハ・フォールのことがめちゃくちゃ好きだけど、でも現実であんなことをやったらジョンが可哀想すぎるし、そりゃ2年後の二人はあんな感じになる。ちゃんと対話してから落下するべきだった。シャーロックの感情も行動もずっと美しいけど、でもそれにずっと怒っているジョンは徹底的に「善」の人だったし、ライヘンバッハ・フォールに「美」を感じている私はただの薄汚い消費者でしかない..................。

頭が痛い。さようなら。