2023.7.5

病院で別の人の名前の予約を取られてしまったみたいなので電話しないといけない。やだな〜。でもこれもエンタメか。これもエンタメにできる精神がほしい。

 

全体的に無理になりアカウントを消しちゃったが、私が勝手によくなるやつなので気にしないでくださいね。みんな楽しくやっててください。私が一人でこうなってるだけなんで。ここだけ見てる人なんていない可能性があるが。

 

好きなアイドルの人力を作って好きなアイドルに「何かを作ったらあなたの気持ちが1000年生きられるかも」と歌わせているものを聴き続けているの、やばいかもな。助けてくれ。おれの都築圭のフェス限どこですか?

 

アイドルマスターにおいて最も信頼を置いているフォロワーと細氷をフルで歌った日を支えに生きている。一番すごかった。これができる時空もこの世にはあるということが、私の救いです。

 

この世の全てに怒り、諦め、全員カスと言いながら日々壁を殴っていますが、まあ低気圧だし湿気がすごいし、と思っている自分もいる。思っていても結局怒りはやまないので、意味ないかも。

 

ふっくらすずめクラブの生放送楽しみ、あとぽこピー展も楽しみ。

2023.6.4「金槐和歌集を買うまでの日」

池袋に来る用事があったのでジュンク堂池袋本店に来た。

まず一番上に上がって演劇の棚を見た。90年代の小劇場について書いた本がないか探したが、第三舞台劇団☆新感線夢の遊眠社あたりに触れている本はあっても、東京サンシャインボーイズや劇団ショーマあたりの劇団にまで触れている本は見当たらない。90年代の演劇ぶっくを読みまくっているせいで、そのあたりの時代の小劇場に異常に詳しくなっている。

 

そこから降りてフランス語のコーナーや図書館関連の本などを見た。あるな〜と思うだけで買わないのもどうかと思いつつ、決め手になる本がなく結局通り過ぎた。

 

3階の人文のコーナーにジェンダー論に紐づけてBL文化あたりについて書かれた本がかなり気になったが、苦しい内容も多く読み切れる気がしない。90年代のコミケの深淵から現代までの文化について書いてある本はないかと探したが、深淵だからなかった。でも深淵扱いし続けてるせいで生まれている文化的な歪みに誰も言及しないのって、どうなんですか? この話はもう...諦めていますが...

 

その流れで壁面の古典文学の棚を眺めた。

 

コレクション日本歌人選 源実朝 https://amzn.asia/d/d7KpD8U

 

あっ

 

気がついた瞬間に「手に取るな!!!」と泣き叫びながらと手に取っていた。嘘ですが。でも心では泣き叫んでいるので般若のような顔になっている。

ちょっと読んでみるだけでかなりギャーーーーーーーという状態になったが両手で抱えているためもう買う気満々になっている。

 

でも落ち着いて考えてほしい。私は金槐和歌集を読もうとしていたのでは?

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 金槐和歌集 https://amzn.asia/d/2vgR744

 

これに全和歌が入っている。一度図書館で予約したが借りる勇気がなさすぎて流してしまった。すみません。

本来こちらを買うべきでは? 手に取った選集は安いし薄いし読みやすいが解説が多い。私はこの人に対して他人が何か書いている文章が全部読めないんだから買っても何も読めないのでは?

それはそうなので、両手で抱えていたが棚に戻した。金槐和歌集の在庫をhontoで調べると東京の丸善本店が一番近かったので、池袋から東京に向かった。

 

 

↑大丈夫?

 

本屋に来て突然「買うべき本」への衝動が高まり別の本屋に電車で向かうことがあるんだ。しかもこの本読もうと思ってから8ヶ月くらい経ってるし。怖い、本当に。

いや通販で買ってもいいはずなんだけど、一回試しに読んだ方が良いし、じゃあ図書館で借りればいいんだけど、多分読まないから。もう無理やり「対面」して泣きながら両手に抱えて会計をするまでいかないと、駄目なんですよね。

 

いま丸の内線の中でこれを書いているが本当に読むんだろうか。だってこれを書いたのって「源実朝さん」じゃないし。全然関係ない歴史上の人物の書いた和歌を突然読んで意味あるのか? 

でももうこの感情ぶつけられる場所ってこれしかない。hontoのページを開いたら鎌倉殿きっかけで和歌集を読んだ人のレビューが出てきて爆速で閉じた。何も読みたくない。誰も私に話しかけないでください。握手したい気持ちと本当に許せない気持ちが完全に同時に存在する。

読みたくないよーーーーーーーーーッッッ

歴史上の印象的な人物に色々な人間が属性を与えて消費している構図がかなり苦手になってきた。だから本来大河も許せてない。

でも私は三谷幸喜のファンだから、このとんでもない有言実行歴史オタクが自分の思想を作品にぶつけまくっているのを見たくて生きている。だから三谷幸喜のことだけ許していて、それに準じて消費を行なっている我々のことは許していないです。

 

東京に着いちゃった。

 

f:id:otituku:20230604143348j:image

 

 

あー。買いました。

しっかりとした全集の一つなので、淡々と全ての和歌に対して意味や本家取りの元の歌を書いている。一番良い。ただこの人の書いた美しい和歌を穏やかな気持ちで読むことができる。これを買って良かった。

 

やっぱり歴史上の人物や作家や作曲家のことを書く時に起きる「わかりやすさ」「消費しやすさ」「キャッチーな人間性の喧伝」が本当に苦手。それをせずにただ淡々と学問的な視点から書かれているものを見ると瞑想に入ったように穏やかな心になれる。

ラヴェルとか宮澤賢治とかもう全員に起きていることだが、本来プライバシーに関わるような私的な問題に対し「実はこうだったのでは?」という推測を行うという流れ、本当に嫌だ!!!!!!!!! 

もちろん今までになかった視点でその人の人生や作品を眺めることは学問に有用という発想なのかもしれないが、でも私的な手紙とか、日記とか、本人が誰にも見せないつもりで書いてるわけじゃないですか。死んだ人間なら勝手に全部開示して良いなんてことがあるか? 私は本当にこれがずっと許せていない。伝記映画も基本的に苦手。

でも同時に「そういう私的な側面」を伝記や作品から垣間見ることでその人のことがより好きになっているという、自分の浅はかな感情の動きも昔からあるわけで。だって自分がラヴェルのこと好きなのって中学生の頃からずっとそういうことでしょ。愚かだね〜〜〜〜〜〜〜私は本当に苦しいです。

 

三谷幸喜の歴史ものは基本的に「この人にはあるイメージが定着してしまっているが、こういう側面もあっただろう」という新たなイメージの構築や、「悪役」の印象を払拭させる目的で行われることが多いので、その点に関しては私は信頼している。それは一つの戦いだから。

戦った先にまた新たなイメージが生まれてしまうという問題はあるんだけど、それはもう、私が現実の戦いから逃げているだけだから、戦っているだけ全員私より尊いです。

 

源実朝さんはこういうことを「全部」考えさせられる契機になっている。なんでこんなことしたんだ。三谷幸喜に「忘れるな」と言われている? それはそうかもしれない。ヴァンプショウにニコニコしていたら突然真正面から刺された。すみませんでした。

 

金槐和歌集、もっと早くに読んでおけば良かったな。読んでいるだけで穏やかになるし、源実朝さんのことを考え続けてしまうこの情動の行き先として一番良かった。

自分は本名の由来に和歌があり、その和歌を源実朝が本家取りしていたりして、そういう事象が複数重なり、より感情が生まれてしまっている。こんなことになるとはね。祈りってどんどんこうやって強いものになってしまうので怖い。

忘れようとして数ヶ月考えないように努めていたが、そうすればするほど感情が大きくなってしまった。難しい。クソデカ感情とか本当簡単に言わないでくださいね、この世の全ての皆さん。そんな一言で済むならそれはクソデカ感情とは言えないだろうが、と言いたい。言葉として矛盾が生じているから多用されてほしくない言葉だと思った。

 

借りるのではなく買って良かった。でも源実朝さんのことを考えていると基本的に落ち込んでくるので、しばらく祈りのための宝物(ほうもつ)として家で守っておこうと思う。

 

2023.4.29「愛でしか学べない」

キルメン・ウリベの『ニューヨーク-ビルバオ-ニューヨーク』を読んだ。バスク語で書かれた本で、『「その他外国文学」の翻訳者』でインタビューを受けているバスク語の翻訳者の方が訳した本だった。もともと買って積んでいた本だったので、この機会に読み切った。

断片的なエピソードが連なっている構成で、読んでいるとだんだん世界が見えてくるような印象を受ける。後から読み返して味わいが深くなる本だと思うので楽しみ。

「マイテ・マイテ」という身振りが登場する。手の甲に手のひらを重ねて撫でる動きで、「愛している」という意味を持つ。バスク語を話す人々の中ではこのようなジェスチャーが多く用いられている。

ラヴェルが弟との挨拶をするとき、互いの前髪を引っ張り合うという不思議な動きをしていたという話を思い出した。その動きがバスク由来のものなのかはわからないが、親密な人とだけ通じ合うための身振りなのだろう。

 

そもそもバスク語に興味があるのはモーリス・ラヴェルの母親がバスク出身で、彼自身バスクへの親しみがあったというのが根本にある。晩年にはバスクに訪れ、歓迎を受けていたはず。はずというのは、私はラヴェルのあらゆる伝記を読みまくった時期があるため、ほぼ全てのエピソードを覚えているので、今何も見ずにこれを書いている。ラヴェルの良いエピソードなら無限に出て来るのでよろしくお願いします。

ラヴェルは生粋のパリジャンのような雰囲気を持ちながらも、自分にはバスクの血が流れているという意識が強かったように思う。それは彼の中で母親の存在が大きかったというのもあるし、やはりバスク語を話す人々にとってそのアイデンティティは特別なものなのだろうと思う。彼が子供の頃に母親はバスク語で子守歌を歌っていたし、彼女はモーリスの音楽院の友人であったリカルド・ビニェスの母親とバスク語で会話していたという。

 

ラヴェルの母親とリカルド・ビニェスの母親がバスク語でおしゃべりしていたというエピソードを今も普通に覚えているの、怖すぎ…………………………………………

 

毎日フランス語の勉強が継続できている。NHKラジオ講座と、一冊買ったテキストが続いている。私は外国語のリスニングが本当に苦手なので、自分で聴いた言葉をそのまま言語として変換する聴き方を定着させるための脳の動きに悩んでいる。音として聞いてしまうので、言語を聴いているという意識がすぐに消えて集中力が切れてしまうんですね。この集中力を持続させる癖をつける必要がある気がする。

 

たぶん本当に実用的なことをするなら英語をした方がいいのだが、ぜったい続かない。人生において別の言語を習得するという経験をやってみたいという気持ちはあるが、たぶんフランス語でないと続かない。なぜフランス語ならかろうじて希望があるかというと、モーリス・ラヴェルの話した言葉だからです。私には愛しかないので、こういう動機がないと無理だ。

 

フランスに行ったときに古本屋で買った、邦訳されていないであろうラヴェルの本を冒頭だけ訳してみた。かなり文法を忘れているから思い出さないといけない。

 

本は積読していたアントニオ・タブッキの「逆さまゲーム」を読み始めた。タブッキは良い。ちょうどウリベの作品で描かれていた時代と同時期の話が出てきた。

ラヴェルは1936年に亡くなっている。12月28日に脳の手術がうまくいかずに亡くなった。まだ61歳だった。でもナチスに占領されたパリやフランコに支配されたバスクを彼が見ずにすんで良かったと、思うことがある。

2023.4.15「駆動力の切り替え」

f:id:otituku:20230416000609j:imageピアノを1年ぶりくらいに出した。キーボードを机の上に置いているので、一度しまうとなかなか準備できない。

ピアノを弾くと、まだ自分は指を動かせるということがわかって少し安心する。20年弾き続けていたものは、さすがにゼロになることはない。過去の自分をなめていてごめん。過去の自分の努力をゼロにしないために、もう少しちゃんと継続して弾くようにします。

 

フランス語を再開しようとしている。Duolingoってゲームみたいで楽しいですね。全然学びは進んでいない気がするが.....。

勇んで買ったテキストを絶対にちゃんと続けたい、頼む、未来の自分、頼むって。毎回思ってる、未来の自分への懇願を。そして結局継続に一番良いのはNHKラジオ講座だなと思う。

 

これを始めたのは完全に『「その他の外国文学」の翻訳者』を読んでいる影響で、毎回こうやって思い出しては再開している。助けてくれ。絶対に習慣にしたい。誰か私を見張るかメンタルを一定に保つ機械にぶち込んでほしい。

この本はあまり日本では知られていない言語の文学を翻訳している人達へのインタビュー集で、本当に色々な経歴を持った人がいる。おすすめです。話者が少ない言語の置かれた歴史などもその文学の精神性に反映されていたりすることがわかって、本当に面白い。そしてそれを学ばんとしている人たちの言葉は、情熱に溢れている。

 

あと自炊も少し増えた。ふっくらすずめクラブを突然全部見たのですが、料理の動画が多くて、料理って楽しいのではという刷り込みが生まれている。みくのしんさんの「生活が好き」という感覚ってかなり有難い。これはぽこピーのチャンネルを見ている時の感覚にも近い。

 

私はめちゃくちゃ影響を受けやすいので、逆に影響を受けたいものを選んで好きになれば、自分にとってもいいのではないか。そんなことが選択できれば苦労しないが....。自己啓発本ってそういう目的であるのかもしれない。

 

アイドルマスターからすっと距離を置いた瞬間に生活と自分の人生を向上させようというやる気が出始めた。いや、私がアイドルマスターを支えにしていたのは、この3年くらい本当に精神的に参っていて、なにもかもが終わっていて、それでもアイドルマスターは夢に向かって進んでいたからなんですよね。「夢見ることに疲れてしまったらだれかの夢を一緒に見ればいい」と湯川潮音が歌っているが、まさにその気分だった。

アイドルマスターはまだ全然見るし好きだけど、そういう支えにするフェーズは抜けたのかなと思う。アイドルマスターをエンジンとして駆動させていた生活を、もう少し別のもので動かしていきたい。学生の頃の自分にはできていたはずなので、そちらにシフトしていきたいという気持ちがある。世界がより最悪になったらまた無理になる可能性は全然ありますが......。

 

ピアノと勉強とフィットボクシングを習慣にしてその合間に人力を作っていきたいが、これ仕事のある人にできるんですかね。

 

2023.4.3「最近見たもの、聴いたもの」

三谷幸喜アイドルマスター以外縛りで。三谷幸喜笑の大学の再演を観られるだけ観ました。愛しています。

 

【聴いたもの】

https://music.apple.com/jp/album/high-neck-ep/1675743735

f:id:otituku:20230403192742j:image

聴きすぎている。レオブタヤギハイが何かというと、ピーナッツくんのアニメの中に出てくるキャラクターであるラッパー「レオタードブタ(ピーナッツくんのご主人様が声を当てている)」と「ヤギ・ハイレグ(ピーナッツくんのご主人様の友達が声を当てている)」2匹によるラッパーユニットで、これが3年ぶりのEPです。説明しづらすぎる。聴いてください。かっこいいから。

 

この流れでピーナッツくんのアルバムを色々聴き直しているが、やっぱり一番目のアルバムが好きかもしれない。アニメのキャラクターがたくさん出てきて、世界観が確立されている感がある。

https://music.apple.com/jp/album/false-memory-syndrome/1518875700

f:id:otituku:20230403194446j:image

この曲を聴く度にいつも後半にかなり感動しているのですが、どうですか? 私はやっぱりこういうところに感動を覚えてしまう。

 

 

【見たもの】

 

f:id:otituku:20230403183831j:image

クラムボンのライブに行った。クラムボンはこのライブを機にしばらくライブ活動を休止するらしい。

ライブの冒頭で3人が順番に舞台に現れ、アコースティックでslight slightを演奏したのがとても良かった。UtopiaとKANADE DANCEの繋ぎも良かった。

 

f:id:otituku:20230403183846j:image

ダムタイプの展示に行った。

ダムタイプ古橋悌二のいた時代の上演作品の映像を見たことしかないので、今の作品を見るのは初めてだった。90年代のあの雰囲気とは異なっていたが、根本的な部分は変わらないように感じた。

指向性マイクからの声が立っている場所ごとに違って聴こえるのが面白かった。


f:id:otituku:20230403183843j:image

f:id:otituku:20230403183834j:image

Bunkamuraがなくなってしまうので、マリー・ローランサン展に行った。マリー・ローランサンの作品自体以上に、1920年代のパリに関する展示を見たかった。

ローランサンはバレエ・リュスによるプーランク作曲のバレエ「牝鹿」の美術を担当しているので、それに関する展示が見たかった。見ながら「これこれ〜〜〜」「やった〜〜〜」「最高〜〜〜〜」と言いそうになったが、そんな雰囲気の人は一人もいないので我慢した。

2枚目の写真はBunkamuraにあるパリのカフェ「Du Magot」の日本支店と並んだマリー・ローランサン展の写真。ドゥマゴはパリで行った。大きな中国人形が天井近くに鎮座している印象が強くて、シノワズリジャポニズム周辺に興味のある私はとても楽しかった。東京に来てすぐの時、支店にも頑張って行ったな。高いのでそんなに何回も行けなかった。


f:id:otituku:20230403183840j:image

浅草に明日のアーを観に行った。

今回の明日のアーは「新喜劇」を銘打っている。劇場も浅草のど真ん中の伝統ある木馬亭という劇場だった。
f:id:otituku:20230403183837j:image

笑い声がよく響く良い劇場だった。

明日のアーをよく知る人はとても楽しい、ファンサービスに溢れた作品だった。一度見たことのある謎のキャラクターが次から次へと出てくる。この劇団一体なんなんだ。

でも私はなにより物語の本筋が素晴らしくて、終わった後しばらく余韻が抜けなかった。きっと大北さんは「新喜劇を今やるなら」ということを考えていただろうし、明日のアーが2023年にやる新喜劇としてこれ以上のものはないと思った。

ペンギンカフェオーケストラで始まり、ペンギンカフェオーケストラで終わるのも良かった。

 

この流れもあって、4/1に喫茶デイリーポータルZに行った。

https://dailyportalz.jp/special/cafe/

かなりファン向けのイベントのような形だったので躊躇したが、こういう時に突然発現する社交性の鬼力によってなんとかなった。

ライターの皆さんに好きな記事や動画の話ができて嬉しかった。サイゼリヤクイズのファンがこの世に存在することを伝えられて良かった。

本当にこの温度感がちょうど良い。

 

 

 

f:id:otituku:20230403191322j:image

蓮沼執太フィルのライブに行った。

オペラシティコンサートホール(タケミツメモリアル)での公演で、このホールにずっと行きたかったので良かった。一度クロノスカルテットが来日公演をする予定でチケットを取っていたのだが、ビザの問題で急遽中止になってしまった。

PAした音がコンサートホールに響く音は最初はあまり慣れなかったが、だんだん耳に馴染んできた。蓮沼執太フィルの中でもミニマルミュージックに近いインストをたくさんやってくれたので、聴きたかったものが聴けた。

ゲストに小山田圭吾さんが来ていて、環境と心理のカバーをやってくれたりして、ウワ〜という気持ちと、さまざまなあれの記憶と感情があれしてウワ〜という気持ちだった。仕方ない。

 

このライブの夜に坂本龍一の訃報が出て、蓮沼執太フィルの人たちのことを考えて、というか自分の好きな音楽家は全員彼に近い場所にいるので、かなり精神的に参ってしまった。

Radio Sakamotoの最終回(代理パーソナリティ:大貫妙子)が高橋幸宏追悼回で、なんだかもう、ああ、という気持ちだったが、時を開けずにこうなってしまった。

「scholar 音楽の教室」という番組から派生した各作曲家のことを取り扱った本のなかにラヴェルの回があって、それを読みまくっていた。坂本龍一が中学2年生の時にラヴェルドビュッシーに感銘を受けたという話を読んで、自分も同じじゃん!!!!!と喜んだりした(中学2年生でラヴェルにハマった人間は自分の周りにはいなかった)。

 

https://music.apple.com/jp/album/%E7%BE%8E%E8%B2%8C%E3%81%AE%E9%9D%92%E7%A9%BA/926730741?i=926730798

f:id:otituku:20230403192413j:image

中学か高校の頃、年始の行事に気が参って部屋にこもっていた時、たまたまRadio Sakamotoでこの曲を聴いて、驚くほど美しくて録音した。ラジオから流れた曲を録音してiTunesに入れていた。どの時代の人間?

 

2022.12.31「最近聞いているもの」

最近聞きながら生活しているものを紹介します。

 

https://youtube.com/@pokopea

 

ぽんぽこチャンネルの自治会というもので過去に配信されていたラジオに近い動画を延々と流し続けている。一番ちょうどいいんですよね。

 

https://chartable.com/podcasts/yagihairegufalseyabazin/episodes

 

その流れで知ったヤギ・ハイレグのヤバジンという半分消えかかったpodcastを流し続けている。

 

https://twitter.com/notefm/status/1608608532483670016?s=21&t=603_Eb_2bjssXiAnAsm_vg

 

この配信のアーカイブをもう3回くらい流している。内容も話し手の空気感も一番いい。

 

 

私はこういうちょうどいいラジオを見つけると、同じものを無限に繰り返して聞き続ける習慣があります。こういうものを聴き続けているとどんどん無に近い精神状態になっていく。生ぬるい瞑想みたいな感じです。

 

 

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00H7NDII4/ref=atv_dp_share_cu_r

 

今年もTHE 有頂天ホテルを見た。

https://fusetter.com/tw/NyLkjrDy#all

小学生の頃にはわかっていなかった登場人物の感情がわかるようになってきていて嬉しい。

 

良いお年を。

 

 

 

 

 

 

2022.11.21「3Dメガネを外す」

f:id:otituku:20221121205759j:image

寒くなってきて嬉しい!

 

原宿の図書館の中にある「和田誠文庫」に行った。

和田誠さんの事務所が渋谷区にあった所以で図書館に装丁を手がけた本やコレクションが寄贈されていて、手に取って見ることができる。和田さんの仕事とは関係なく、ご本人の趣味である映画や音楽にまつわる資料は付箋がそのまま付いていたりして面白い。

昔からものすごい量の映画を見ていた人で、自身で映画も制作している。映画を映画館でしか見られない時代だったから、1日に何軒も名画座を梯子している日記が残っていたりする。

 

今は配信サイトでいくらでも観られるのに、映画を全然観ていない。映画館に行って拘束されていないと集中できないというのもあって、名画座で見たい映画がないかよく確認している。劇場空間が異常に好きというのもある。

好きな監督や脚本家、役者に関わらず映画というジャンルそのものを見まくれる人ってどうなっているんだ。自分にはそういう体力が全然ない。

実写の映像作品の描写に体力を削られがちだ。人が死んだらその映像の中ではもう「死」なので、ダメージが大きい。演劇の場合は人が死んでもカーテンコールでは笑顔で挨拶をしてくれるから、耐えられる。

 

↑これは全部「鎌倉殿の13人」を見るのが嫌すぎる、という前振りです。

毎週大河ドラマを見る生活を毎年続けている人ってどうなっているんですか? 日曜の夜に主要人物がコンスタントに死んでいくのを見て、耐えられるんですか?(もしかして他の大河では主要人物がコンスタントに死んだりしない?)

昔はこういう「嫌さ」もエンタメのうちとして楽しめていた気がするが、今はもう全然、100の「嫌さ」になっている。

だって好き登場人物が死ぬのを見るのって、嫌じゃないですか? そもそも好きなキャラクターが死ぬタイプの作品をそんなに通ってないから耐性がない可能性もある。

源実朝さん、死なないでください。幸せに生きてください。三谷幸喜さん、頼む。いや源実朝が死ぬことは三谷幸喜がどうこうしなくても「確定」しているんですね。史実だから...。

 

※こういう歴史を題材にした作品を見ていると、「実在した人物の二次創作」すぎて怖くなることがある。

鎌倉時代はさすがに残っている記録も御伽噺のようなものが多いからその感覚は薄いけど、でも新選組とかって。おかしいだろ。写真が普通に残っているのに。

司馬遼太郎はそういうことを考えなかったんだろうか。土方歳三さんという人間のことが本当に気の毒になる瞬間がある。あらゆる形で消費されすぎている。

歴史ドラマはまだしも、作家とか偉人の名前だけ借りて見た目も性格も架空のキャラクターにしている作品のことがだんだん受け付けなくなってきた。だって失礼じゃないか? この世にいなければ良いことになっている?

太宰治とかもかなり気の毒だ。みんな太宰治のことを好き放題しすぎだ。我々は全員地獄に落ちます。全員。

 

 

精神的に疲労する作品はだんだん薄目で見ることしかできなくなってきた。作品を十全に楽しむ姿勢ではないので失礼なんだけど、真正面から作品を浴びる勇気がなくなってきた。自分が大事だから......。

USJスパイダーマンのアトラクションがある。3Dメガネをかけた状態で車に乗るタイプのアトラクションで、途中ビルから落ちるような場面がある。

子供の頃かなりの高所恐怖症だったため、この「ビルの上から落ちるような感覚の演出」が耐えられなくて、その場面に来るといつも3Dメガネを外していた。その瞬間に先ほどまでの臨場感が失われ、二重になった映像の前を車で通り過ぎるだけの時間になる。

これはアトラクションを100パーセント楽しめていないんだけど、自分の身を守るために必要な行為でもあるなと思う。

自分はフィクションに情緒を揺さぶられすぎなので、時々薄めになったり、3Dメガネを外してみた方がいい。全身を揺さぶられたいという気分になりきれない性格なのかもしれない。