2022.11.21「3Dメガネを外す」

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寒くなってきて嬉しい!

 

原宿の図書館の中にある「和田誠文庫」に行った。

和田誠さんの事務所が渋谷区にあった所以で図書館に装丁を手がけた本やコレクションが寄贈されていて、手に取って見ることができる。和田さんの仕事とは関係なく、ご本人の趣味である映画や音楽にまつわる資料は付箋がそのまま付いていたりして面白い。

昔からものすごい量の映画を見ていた人で、自身で映画も制作している。映画を映画館でしか見られない時代だったから、1日に何軒も名画座を梯子している日記が残っていたりする。

 

今は配信サイトでいくらでも観られるのに、映画を全然観ていない。映画館に行って拘束されていないと集中できないというのもあって、名画座で見たい映画がないかよく確認している。劇場空間が異常に好きというのもある。

好きな監督や脚本家、役者に関わらず映画というジャンルそのものを見まくれる人ってどうなっているんだ。自分にはそういう体力が全然ない。

実写の映像作品の描写に体力を削られがちだ。人が死んだらその映像の中ではもう「死」なので、ダメージが大きい。演劇の場合は人が死んでもカーテンコールでは笑顔で挨拶をしてくれるから、耐えられる。

 

↑これは全部「鎌倉殿の13人」を見るのが嫌すぎる、という前振りです。

毎週大河ドラマを見る生活を毎年続けている人ってどうなっているんですか? 日曜の夜に主要人物がコンスタントに死んでいくのを見て、耐えられるんですか?(もしかして他の大河では主要人物がコンスタントに死んだりしない?)

昔はこういう「嫌さ」もエンタメのうちとして楽しめていた気がするが、今はもう全然、100の「嫌さ」になっている。

だって好き登場人物が死ぬのを見るのって、嫌じゃないですか? そもそも好きなキャラクターが死ぬタイプの作品をそんなに通ってないから耐性がない可能性もある。

源実朝さん、死なないでください。幸せに生きてください。三谷幸喜さん、頼む。いや源実朝が死ぬことは三谷幸喜がどうこうしなくても「確定」しているんですね。史実だから...。

 

※こういう歴史を題材にした作品を見ていると、「実在した人物の二次創作」すぎて怖くなることがある。

鎌倉時代はさすがに残っている記録も御伽噺のようなものが多いからその感覚は薄いけど、でも新選組とかって。おかしいだろ。写真が普通に残っているのに。

司馬遼太郎はそういうことを考えなかったんだろうか。土方歳三さんという人間のことが本当に気の毒になる瞬間がある。あらゆる形で消費されすぎている。

歴史ドラマはまだしも、作家とか偉人の名前だけ借りて見た目も性格も架空のキャラクターにしている作品のことがだんだん受け付けなくなってきた。だって失礼じゃないか? この世にいなければ良いことになっている?

太宰治とかもかなり気の毒だ。みんな太宰治のことを好き放題しすぎだ。我々は全員地獄に落ちます。全員。

 

 

精神的に疲労する作品はだんだん薄目で見ることしかできなくなってきた。作品を十全に楽しむ姿勢ではないので失礼なんだけど、真正面から作品を浴びる勇気がなくなってきた。自分が大事だから......。

USJスパイダーマンのアトラクションがある。3Dメガネをかけた状態で車に乗るタイプのアトラクションで、途中ビルから落ちるような場面がある。

子供の頃かなりの高所恐怖症だったため、この「ビルの上から落ちるような感覚の演出」が耐えられなくて、その場面に来るといつも3Dメガネを外していた。その瞬間に先ほどまでの臨場感が失われ、二重になった映像の前を車で通り過ぎるだけの時間になる。

これはアトラクションを100パーセント楽しめていないんだけど、自分の身を守るために必要な行為でもあるなと思う。

自分はフィクションに情緒を揺さぶられすぎなので、時々薄めになったり、3Dメガネを外してみた方がいい。全身を揺さぶられたいという気分になりきれない性格なのかもしれない。