2021.9.2「ロールプレイROM専」

霧雨が気持ち良い日だった。

シャニマスのカードを引きたいと思う時、あまり「担当」という意識がない。シャニマスにおける担当が永遠に決まらないのは、多分物語を追いたいという気持ちだけでゲームをやっているからだと思う。
個人的に、誰か一人を推したいという気持ちにならない。そういう意味でもアイドルマスターの中で異端なのかもしれない。

以前リアルアイドル好きの友人と話した時、「推し」という言葉の捉え方かなり大きく違っていることを知った。現実のアイドルを「推す」という行為は、割とアイドルマスターにおけるプロデューサーの「担当」に近いように感じられた。
私にとってアイドルマスターの好きなアイドルというのはやっぱり未だに「担当」ではないような気がする。弊事務所の、という意識がない。そりゃそうだろ。弊事務所の彼らをよろしくお願いします、にならない。だって全員自分よりめちゃくちゃ偉いし、そんなの傲慢じゃないですか? そういう気持ちがあるので結局プロデューサーのRPというアイドルマスターの本質的な楽しみ方はできていないような気がする。
私はプロデューサーのRPをしている人たち、舞台の上でアイドルを演じている人たちの巻き起こしている「現象」を眺めている。ここまで来ても結局観客席にいるんだよな。私はTRPGをやっている人たちを見ていたい人なので...。

それにやっぱり、いざ「プロデューサー」をやろうとすると、じゃあ自分と同じアイドルの担当を名乗っている人たちは一体何???という思考になり、この思考になるのは当然ではあるものの社会的にはあまり良くないので、RPが止まってしまう。それはもう乗り越えろよという気持ちもあるが...。
あとシャニマスの場合、作品内のプロデューサーがプロデューサーなので、自分が担当するとかそういう話ではないな...と思って普通にノベルゲーの観客をやっている。それで結局、シナリオの好きな杜野凛世さんや浅倉透さんや、その物語の先が気になるSHHisの二人を追いかけるようになっている。

ノベルゲーで思い出したけど、ドキドキ文芸部ってすごいとは知っていたけどすごいんですね。自分でやってみたい。