2021.9.14「透明な幽霊、透明な彗星」

色んな曲の色んな歌詞のことを考えていた。Vtuber のことを考える中で、もうそろそろ自分が向き合う上では「詩」に頼るしかなくなってきた。
色んな歌詞からの連想で、宮澤賢治の「春と修羅」序文を思い出していた。

冒頭の文章が感覚的に好きでよく読んでいたけど、今読み返すと面白い。
「わたくしという現象」という言葉、「わたくし」という、それぞれの人間の内部に等しく存在する(けれど自分自身では自分のそれしか知覚できない)現象のことを指しているようにも読める。
Vtuberという存在の仕方を考えていると、一人の人間をその人自身たらしめるものはなにか、という問題に行きつきがちで、春と修羅の序文はそういったことを考えるための言葉のように感じる。
彼らがいつか消える時、私は何を覚えていられるのだろう。彼らはずっと透明で、透明だから消えないのだろうか。そのとき彼らの中の「わたくし」はどこへ行くのだろう。

池澤夏樹「言葉の流星群」が好きで、ときどき読んでいる。宮澤賢治について書かれている数多の文章の中ではこれが一番好きかもしれない。
詩を引用するとき、朗読してそのリズムや語感を楽しまなければ意味がないという考えから、下に難しい言葉の読みを書いているのが良い。

自分の身体がアバターと連動している感覚が知りたくて、カスタムキャストで遊んだ。
でも2Dで口や顔の傾きが連動しているくらいでは、あまり実感がないな。3Dで関節まで連動していると、「これは自分の身体である」という感覚が生まれるのだろうか。
やっぱり3Dの身体を動かして行っているライブ映像をできるだけたくさん見たいという気持ちはあるのですが、ちょっと怖いので、まだ見られていない。なぜ怖いかというと既に「感情」があるからだよ。あーあ。

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来世は何がなんでも青の系譜になりたい人?