2021.9.9「失われたすべての深夜ラジオへ」

 

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山田航編著「桜前線開架宣言」を買った。色んな人の短歌がたくさん載っている。

青山ブックセンターは、毎夏200人の選書を紹介する企画をやっている。いろいろな人が参加していて見るのが楽しい。
これは木下龍也さんがおすすめしていて、ずっと気になっていたので買った。

Vtuberの配信を流していると楽しいが、Vtuberの配信を流した分だけVtuberという存在について考え続けることになるので発狂寸前♪♪(きゅんっ! ヴァンパイアガール)になってきた。
みんなこんなに考えながら見ているわけではないのかな。そりゃそうか...配信はラジオに近い感覚で聴けるし、歌も聴けるし、なんならライブまであるし、落ち着かないで見ることは全然できる。私もこの前までそうだったはずなのですが...。
一人だけを追っている時には考える必要のなかったことではあるかもしれない。複数のVtuberが配信で会話しているのを聴くと、彼らの共有する世界やそれぞれの在り方について考えたくなってしまう。

でも私がこうなっているのって、全ては「予防線」なのかもしれない........。この先自分が好きになった(なってしまった)Vtuberに何かしらの「終わり」が来るとして、その時に防御姿勢を取るために、今新しい認識を確立しようとあがいているのかもしれない。どんだけ面倒くさいんだ。

色んな人のVtuber体験を聞いて、その人が追っているVtuberから得たVtuber観が知りたい。
ユリイカは2018年時点なので、Vtuberという在り方そのものに注目している人が多く、自分の今の関心に近い内容だと感じた。
でも現在インターネット上で見かけるVtuber論みたいなのって、ビジネスとしての動向だったり、それぞれの事象に関する分析が多いように感じる。たしかに数が膨大すぎて、帰納に限界が来ているのかも。

バーチャルYoutuberの配信を夜に聴きながら寝る、みたいなことが出来ている。
小学生の頃からラジオ深夜便を聞いていたので(そんな小学生がいていいのか?)、夜のラジオに思い入れがある。ノイズ混じりの音の中に、時々海外のラジオが混ざってしまうことがあって、それも好きだった。
でも私の好きなラジオはだいたいなくなってしまったり、形を変えてしまった。そもそも今のラジオはスマホから聴けてしまい、ノイズはほとんどない。混線することもない。
でも私が聴いているVtuberの配信では、配信環境の調子でマイクがビリビリだったり、通信環境が悪くて繋がらなかったり、外で喋っている人がめちゃくちゃ騒音を鳴らしたりする。その臨場感やある意味での雑さは、夜に流すのにちょうどいい。

実ってヤバくないですか? (We are 315) そうだろ?