2020.4.30「一人称の邦画」

買い物をしたり掃除をしたりした。外に出たら気温が高くて驚いた。

「うなぎ」を見た。役所広司が見たかったため…。どこにも配信されていなかったので、ツタヤディスカスで借りた。私は本気なので。
思っていた以上に「古き邦画」で、ここまで?!とびっくりしてしまったが、それはそうか。演出のくどさとかで笑ってしまう。
味の濃い邦画の一つという印象を受けそうになる、が、よくよく眺めると実はそれほどではなく、むしろとぼけた不思議な空気がずっと続いていると感じる。映像や筋書きの先入観で見てしまうのはよくないな。
色々な作品を見れば見るほど「型」による分類を始めてしまうのが悪い癖だと感じる。それ(おそらく私が帰納と呼ぶ行為もそれを含むが)を行うことは、作品の影響関係や自分の嗜好がはっきりするので楽しい。そうした分類行為が続くことで、最終的には「ない○○」遊びが楽しめるようになる。見たことのないアニメや映画の「あるある」を語れるのは、ある程度の作品を知っていて、その上で「よくある描写」を知っているから。
ただこうした分類は、その作品独特の雰囲気や特徴を捨象していく。型を見つける遊びをやり続けていると、自分がその作品にしか存在しない機微を見落としていることに気が付く瞬間がある。もちろん類似の作品と比較を行うことによって見えてくる特徴というのもあるのでなんとも言えないが…。結局はその作品とどのように向き合うかという基本姿勢の問題になってくる気がする。
何が言いたかったんだ。「うなぎ」はそんなに好きな作品というわけではなかったが、役所広司の演技がめちゃくちゃに好きだったのと、良くわからないながらになぜか最後で泣いてしまった。役所広司はすごい。それしか言えないんですけど、これしか言えない人間に与えられた場所ってないらしいです。助けてくれ
男一人称の近代文学のような作品だった。こういう映画って最近あんまり見ないような気がする。私が群像劇が好きすぎるだけか…(群像劇は「視点」が一人だったとしても、人称は基本的に三人称だと思っている)

夜に水槽を覗き込んでうなぎに話しかける役所広司の姿、映画館で見たいな。目が離せなかった。
閉館した映画館のスクリーンが夜中に見る夢、みたいな映像だった。