2022.3.15「何を書いているのかわからなくて怖い」

https://youtu.be/1sPQcSPQhoE

 

この世に架空のキャラクターを「下ろす」ための方法はたくさんあり、このようなアニメーション映像も一つの手段である。その一方で人間が演じる・アニメーションに人間の声をつける・声をつけていた人間が肉体も舞台に上げる などの方法が存在するが、その際に依代となっていた肉体は果たして代替可能なのか?

 

ということについて10000字くらい書きそうになったが、「お前はコンテンツ産業に関わっている人間ではないから考えすぎると頭がおかしくなるよ」と自分に言われたのでやめます。

 

 

人間が死んだらキャラクターも死ぬのかという問題、Vtuberにおいてはそうであると言うしかなくて、でもVtuberにおける「キャラクター」とはその人間の内面に宿っているものであるので、キャラクターの肉体を捨てた人間の姿をしっかり追い続ける人もいる。

対する架空のキャラクターの内面というのは別に演者に宿っているわけではない。でも架空のアイドルコンテンツ(怖いので検索除けをしている)はむしろその壁を破るために演者の内面にまで侵食してきた、みたいなところがあったのかもしれない。

 

↑まで書いて意味がわからなくなってきた。何を書いているんだ?

 

書いていてウエ〜〜〜ッとなってきた。ここ最近で溜まっていた「作品・フィクション・キャラクターと人間を混濁させた語りへの忌避」がそうさせている。

フィクションと現実が混ざり合うのは好きなんだけど、それは仕掛けられているから楽しいのであって、別に現実の最悪さをこちらから無理矢理混ぜる意味は一切ないと思っているから...。

私は「作り手の掌の上」にいたいんだ、ずっと。それ以外何も望んでいない。作り手の見せたいものが見たい。それ以外のものには興味はない。そういう意識のある人、めちゃくちゃ少ないのかもしれない。

 

 

 

☆人間は「人間」に興味がありすぎる......

 

 

 

三谷幸喜アイドルマスターというバランス、"神"かもな。