2020.7.31「安心じゃない僕らは」

ここ数日ラヴェルの「クープランの墓」の前奏曲を練習している。楽譜は持っていたがきちんと弾いていなかった。
ラヴェルの弟子ペルルミュテールによる解説付きの楽譜を買ってしまった。高い。でもラヴェルの楽譜はこの人の解説なしには演奏できないと思っている。

数日前にフランスに行く夢を見た。フランスに行こうとして、今の時期に行ってもいいのかを迷い続ける夢。どっちにしろ行けないだろと思うが。
ほとんど初めての海外旅行はフランスだった。ラヴェルの家にも行った。駅のピアノでラヴェルソナチネを弾いたら知らない子連れの女性が拍手をしてくれた。あの人は元気だろうか。

「普通の人でいいのに」という漫画がめちゃくちゃに流行っていて、ちょっと読んだ(ちゃんとは読めてない 文章が多い)。
わかる部分もあるし、わからない部分も多い。自分を客観視して物語的な行動をしたくなるのはわかるけど、意味なくウラジオストクに行くなら好きな場所に計画的に行けばいいのにと思う。そういう場所がないから苦しいという話なんだろうか。まあビザがあれば海外に行けるだけいい世界だと思う。

最近くるりのハイウェイを聴き直して、この歌の「僕」は結局旅には出ていないんだなと思った。
でも羊文学のハイウェイが今なら、2003年のハイウェイは幸せそうだなと思う。僕らは安心じゃないから旅に出られないし、思い切り泣いたり笑ったりもできない。
行く気のない旅行の話をしている作品が好きだけど、どうせなら旅に出ようぜという気持ちがある。理由がなくても行きたいなら全部行っておいた方がいいよ。ということに、今年になる前に気が付けていてよかった。

ラヴェルの和声進行を耳に鳴らしている時だけ穏やかな気持ちになれる。戦争で友人たちを失った100年前の作曲家の弔いの音楽の響き方が、日々変わっていく。