2020.4.3「短篇」

短編集を渡り歩くように読んでいる。
今は吉田篤弘の「台所のラジオ」とジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」を文庫で持ち歩いている。小川洋子の「薬指の標本」を電子書籍で買って、表題作は読み終えた。伊坂幸太郎の「ジャイロスコープ」も合間に読んでいる。古本屋で昔買っていた「フランス短篇傑作選」を本棚から発掘したので、それも読んでいる。
「台所のラジオ」の中の「夜間押しボタン式信号機」の印象が強かった。吉田篤弘は穏やかで不可思議な日常を描く人に見えて、時々こういうジャブを打ってくる。
「停電の夜に」は今3編読んだところ。自分から手を出すタイプの作品ではないが、どれも端正という印象。内容は生々しい現実を扱っているのに、読んでいて苦しさはあまり感じない。
薬指の標本」あ~、小川洋子小川洋子はこうでしたね。思い出しました、この空気を。小川洋子は「博士を愛した数式」と短編集の「海」が好きで、「薬指の標本」に漂う匂い経つような空気が好きかと言われたらそうでもない。でも引き込まれる。これの映画、どうなってるんだ。
ジャイロスコープ」はまだ1作目だけ。伊坂幸太郎を本当に久しぶりに読んだが、やっぱり面白いな。面白いし、文体がフラットなので読みやすい。小川洋子の密度も粘度も高い世界とは正反対だな。表紙の印象もあるかもしれないが。
「フランス短篇傑作選」なんでこれを買ったんだと思ったが、思い出した。アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」が読みたかったんだった。
吉田篤弘の小説にタイトルだけ登場して、それ以来ずっと気になっていた小説。もの凄く短いが、記憶に残る。「バイオリンの声をした娘」「ローズ・ルルダン」「タナトス・パレス・ホテル」を読んだ。全部面白いな。方向性が真逆だけど、同じ本に収められていることがすごい。
短篇小説は、最後にいきなり小さな崖から突き落とされたような感覚になるのが好きだ。どの作品もあっけなく終わる。

小説を読む脳が戻ってきたような気がする。泳ぎ方を思い出していくような感じ。
自分はここ数年「ちゃんと読まなければならない」という気持ちを持ちすぎていた気がする。「芸術」「芸術鑑賞」そのものを研究対象にしていたりすると、あらゆる作品に対して常に真摯に向き合わなければならないという感覚を持つようになる。それをやりすぎて、気軽に作品を手に取ることもできなくなっていたのだと思った。

スクエアプッシャーを聴きまくっている。なぜ? lambic 9 Poetry中毒になりました。