2020.3.28「家」

いろんなライブ配信を見まくった一日だった。

京都市交響楽団が中止になった定期演奏会のプログラムを生配信していた。なじみ深い京都コンサートホールで、京都市交響楽団マーラーの4番を演奏している。人一人いない客席が映った瞬間に自然と涙を流していた。
演奏が終わっても拍手をする人間はいない。ソプラノ歌手のゲストに対して、団員たちが拍手をする。指揮者がオーケストラに向かって拍手をする。
歌手と指揮者が去ったあと、団員たちが立ち上がって一斉にお辞儀をした瞬間の音のないホール。それから響く団員たちの「お疲れさまでした」という声。

夜にはコトリンゴライブ配信があった。
ずっと好きなアーティストで、「この世界の片隅に」で名が知れたけれど、彼女の歌声からは想像できないような力強いピアノの音が好きだ。
ライブ配信で「悲しくてやりきれない」が演奏された瞬間に涙が流れた。この歌詞がこんなに響くんだな。
今の自分には音楽が響きすぎる。100年前の音楽も、50年前の音楽も、今の音楽以上に迫ってくる。

 

久しぶりに母親と電話したら2時間くらい喋り続けた。やはり実家ではみんな東京のことをものすごく心配している。家族が必要以上に不安になるのも嫌だったので、職場の楽しかった話をしたり、おすすめのライブ配信のURLを送ったりした。
東京から離れた土地から報道を眺めている方が不安になっているのかもしれない。東京に住んでいると全員が当事者だから、ずっと不安がっているわけにもいかない。そして生活は続く。
母は私が実家に置いていった堀井憲一郎の著書「いつだって大変な時代」を読んでいた。
堀井憲一郎は昔から好きなエッセイストで、個人的にはDPZを今好んで読む土台になったと思っている。意味のない調査をものすごく一生懸命する人で、とにかく文章がめちゃくちゃ面白い。落語が好きな人だからか、読みながらほとんど現代落語を聞いているような気分になる。
「いつだって大変な時代」は新書で、彼の著書にしては珍しく世相の話をしている本だった。随分前に読んだけど、何が書いてあったかはあんまり覚えていない。でも多分タイトルのままのことを言うための本だった。
母はあまり自分で本を買わないので、私が読んでいた本のおさがりを時々読んでいる。その本を手に取ったのもたまたまだったようだが、今の気分にちょうど響いたようで、少し不安を取り除けたらしい。
たまたまだが、実家に忘れていってよかった。

 

昨夜「あちらこちらぼくら」を読んだ。一気に読まずに一編ずつ読めばよかったと少し後悔している。人間は美しい。

今は三浦しをんの「月魚」を読んでいる。なんだかすごいことになっているのでみんな読んだ方がいいです。

眠る直前に西村ツチカの画集を眺めている。
西村ツチカは、絵の中に入り込むようにして眺めるのが楽しい。臥遊だな。